KAJA DESIGNの過去、イマ、そして未来KAJA DESIGNのはじまり
最初は、
たった5人の小さな土木会社だった
まず、大熊工業の設立経緯を教えてください。
私の経歴からお伝えさせていただきますと、高校を卒業して土木工事の会社へ就職しました。 現場でずっと働いていたのですが、31歳のときに独立。大熊工業を立ち上げました。設立当初は、私含めてたった5人。ですが、ありがたいことに業績は好調。土木の仕事を安定的に請け負いながら、少しずつ規模を拡大しながらやってきました。
なぜ建築の分野に?
会社を立ち上げて10年の歳月が経った頃ですね。順調だったこともあり、社内で何か新しいチャレンジをしたいね、という話になったんです。
個人的には、そのタイミングで建築事業を始めたい気持ちは強かった。というのも、私自身が自分の家を建てたばかりだったんですが、実は不動産会社や工務店とのやり取りがうまくいかず、せっかくの持ち家だったのに後悔の気持ちが強かったんです。もし同じ想いをしている人が他にもいるのなら……と。でも、普通に考えて、いきなり町の土建会社が「家を建てます」と言い始めても、頼む人はいませんよね。
そこで「家づくりにつながる何か」と考えたときに思いついたのがインテリアでした。『KAJA』ブランドが誕生した瞬間です。
建築事業をスタートするための足がかりが、インテリア事業だったと。
そうです。だから、単に「問屋さんから仕入れて売る」みたいな一般的なやり方はあえて選択しませんでした。たとえ採算が合わなかったとしても、海外で一点モノをオーダーメイドして、直接仕入れて販売しよう、と。 建築事業をスタートするようになれば、特注品の建材を輸入するようなケースは絶対ありますからね。東南アジアを中心にくまなく探して、インドネシアのジャワ島に拠点を見つけました。
そして、インテリア事業も5年ほどやっているとリフォームの仕事のお話をいただく機会も増えてきたんですよね。それで、建築事業に本腰を入れて注文住宅もやっていこうということで『KAJA DESIGN』を立ち上げたわけです。
正直、5人で始めた土建会社が新規事業をスタートするなんてかなりのチャレンジだと思うんです。 なぜ、そのような思い切った挑戦ができたのでしょう?
前提として、土木の仕事は収益性が高いものです。加えて、当社が得意とする地盤改良は非常にニッチな領域。 さらに、私たちはよその会社に先んじて設備投資をして、技術力を高めてきました。そのため、基本的にダイレクトでオファーをいただくことが多い。九州のお客様から声をかけていただくこともあるほどです。 そういう意味では安定した収益基盤があるからこそ、新規事業にチャレンジできたと思います。